仕事の忙しさにかまけて,といえば聞こえは良いですが,
プライベートでネタが無く,ブログ当番の期限を大幅に破り,そろそろ遅延料が発生するのではっ??(←こんなもの存在しません・・・たぶん。)と若干焦って(いえいぇ!満を持して)登場のMポックルです。
さて・・・,早速,仕事とは何の関係もない話ですが・・・
先週ですが,ひょんなことから同僚G子さんのお宅にお邪魔しまして。
要は,飲みすぎて完全に終電を逃しておりましたので,始発までstayさせて頂いたのです。
そこで朝までガールズトーク??・・・いや,残念ながら,もはやgirlではありませんし,人様に提供できるような浮いた話もございませんで,
(そう,逆を言えば,既に地に足をつけて生きております!!と豪語させて頂きます・・・)
なんだか,明け方あたり,我々は「家族」とは,という壮大なテーマで話をしておりました。
なんでそんな話をしてたかは,仮死状態だったので覚えておりませぬが・・・。
自分にとって「家族」とは・・・
G子:「例えば,その人がどんな状況になったとしても・・・,
例えば,何かのアクシデントでもう二度と両親や
兄弟に会うことができなくなったとしても・・・親子で
あり,姉妹であり,という自分との関係性が
絶対に変わらないもの。」
M子:「それって,「手紙(東野圭吾 著)」のテーマ
だね・・・。」
G子:「うん,そうそう・・・」
M子:「ああ,超的確・・・」
なんだかこの家族の定義は,当たり前のことでありながら,
新鮮だったのです。
「心の支え」や「大切な人」といった主観的なものではなく,
客観的な関係性からアプローチしているあたりが・・・
そう,極端な話,
仮にあした家族の誰かが重大な罪を犯しても・・・
明日突然,飛騨山脈に沿って日本が北と南に分かれ,
実家の両親と音信不通になったとしても・・・
大麻吸引で相撲界を追放されても・・・
トランスジェンダーを理解してもらえず,親子喧嘩の末に
戸籍を抜いたとしても・・・
生まれたときには既に父親が失踪してたとしても・・・
痴呆で親が自分の顔も名前も判らなくなったとしても・・・
自分の意思に拘わらず
(どんなに欲しようと自分の意思だけでは手に入らず,
またどんなに拒絶しようとなくすことは出来ない)存在する関係性。
そんな関係を自分と持っている人。
それが「家族」。
そして,その関係性を言い換えるとすれば「良くも悪くも家族の「絆」」という感じでしょうか。
いつだったか「家族の絆」というテーマで
24時間マラソンしちゃってた番組の趣旨とはニュアンスが違いますね。
あちらは,家族で何かを乗り越えることで,生まれるのが家族の絆。(←こっちも大事ですよ~)
こちらは,一緒に何かをしなくても,例え一緒に居ることさえできなくても,ただ,そこにあるもの。
「である」ことと,「する」ことの違い。
「しかし,私は貴方に重大な宣告をしなければなりません。結論からいいますと,この手紙は私から貴方に送る最後の書簡です。また今後は,貴方からの郵便物は一切受け取りを拒否いたします。ですから,もう手紙は書かなくて結構です。(中略)
私はこれまで強盗殺人犯の弟というレッテルを背負って生きてきました。(中略)レッテルを貼られた人間には,それなりの人生しか待ち受けていません。私は殺人犯の弟だという理由で,音楽という夢を捨てなければなりませんでした。また,愛した女性との結婚も諦めることになりました。(中略)
この手紙をポストに投函した瞬間から,私は貴方の弟であることを捨てるつもりです。今後一切,貴方とは関わりを持たないつもりですし,これまでの貴方との過去も抹消する決意でいます。(後略)」
「(前略)この手紙を読んだ時の衝撃をわかっていただけるでしょうか。弟に縁を切られたことがショックだったのではありません。長年にわたって私の存在が彼を苦しめ続けてきた,という事実に震撼したのです。また同時に,当然
そういうことが予想できたのに,弟にこんな手紙を書かせるまで気づかなかった自分の阿呆さ加減に,死にたくなるほどの自己嫌悪を覚えました。何のことはありません。私はこんなところにいながら,何ひとつ更正などしていなかったのです。(後略)」
(東野 圭吾「手紙」より)
例え,この兄弟が二度と会うことがなかったとしても・・・
「である」絆,ここにあり・・・。
(株)フェザンレーヴ さんの投稿 投稿時: 20:05